人形師

初代
三宅 玄祥

「瑞宝単光章」叙勲 作家
京都府伝統産業優秀技術者「京の名工」
経済産業大臣指定 京人形伝統工芸士
京人形商工業協同組合会員

昭和16年、京都生まれ。16歳より、当時名工と謳われた初代安藤桂甫もとへ師事、修行を積む。
昭和42年、独立し作名を三宅玄祥とする。 以後、研鑽し、今現在、主流となっている雛人形のスタイルを築き上げるに至る。
華やかな色使いと、柔らかな曲線美が特徴。極上の素材のみを使用し、細部にまでこだわる為、京雛師の中でも、別格の存在とされる。
生年月日 昭和16年5月生
出身地 京都市北区
この世界に入られたきっかけ 人づての紹介で、当時名工とされた安藤桂甫のもとへ、弟子入りしました。中学を出てすぐでしたので、当時でいうところの丁稚奉公のようなものでした。
修行先、修行内容 入店してすぐの頃は、店のことを全般、なんでもやりました。人形を触らせてもらえるようになったのは、入店してから2年くらい経ったころでしたでしょうか。当時の事でしたので、教えてもらうというより、師匠の仕事を見て覚えるという感じでした。そこらへんは、職人の世界、徒弟制度 そのままでしたでしょうか。
技術的に特に難しいところ、気を使うところ 難しいところといえば、全て難しいのでしょうが、敢えていうなら、襟元を整える「襟巻」の作業と人形の形を作る「腕折り」の作業でしょうか。「襟巻」は襟元が一番目立ちますし、「腕折り」は一回で形を決めないと、やり直しがきかず、それまでの工程が全て無駄になってしまうからです。
人形制作への思いとこだわり やはり、良い素材を使用して、昔ながらのやり方で、手間を惜しまず製作することでしょうか。 京都というところは、同じものを大事にしてずっと使い続けるという文化があります。ですので、雛人形もその子の「一生のお守り」として、ずっと持ち続けます。そういう文化的な背景から、 「京雛」も色変わりがしないよう、型崩れしないように、きちんと作ることが大切だと考えています。
匠にとって「人形」とは 「人形」というのは、良い意味でのゆとりの表れではないかと思います。一年に一度、お母さんとお子さんが一緒に人形の飾りつけをして、人形を愛でる。最近は、日常生活の中に工芸品が少なくなっていると思います。日常に手作り品のゆとりと潤いをあたえる、という意味で飾っていただけたら嬉しく思っています。
次世代へ伝えたいこと ひなまつりにしても端午の節句にしても、新しく生まれたお子さんの健康と幸せを願うという意味があります。このような儀式は、世界各地に今でもありますし、日本でも古来より行われてきたことです。そのような大切な文化をこれからも絶やさないように、受け継いでいってほしいと思います

人形師

二世
三宅 玄祥

経済産業大臣指定 京人形伝統工芸士
京人形商工業協同組合会員

昭和42年、京都に生まれる。
初代三宅玄祥のもと幼少の頃より京人形の製作に携わる。
大学卒業後、東京都の人形卸店にて人形業界での修業を積む。
平成6年、京都に戻り、京人形制作に従事。現在に至る。
初代より受け継いだ、京雛の製作技法を基にした華やかな作風が特徴。
京製らしい上質な生地を使用した、堅牢な造りの雛製作には定評がある。

平成25年、Samurai Armor Bagを発表し世界各地の展示会に出展。

サムライ仕様、是非に及ばず。
京人形伝統工芸士がプロデュースしている製品です。 日本の伝統工芸である「京人形」の製作技術を通して、日本の伝統文化や伝統工芸の素晴らしい魅力を世界の多くの方に伝えたいと願い「Samurai Bag」を開発しました。
MADE IN KYOTOの逸品です。
京人形伝統工芸士がプロデュースする「サムライバッグ(甲冑鞄)」を紹介しています。
創業以来、京人形の製造を手掛けてまいりましたが、2007年より和雑貨の開発を取り組み始めました。
2013年パリにおいて「Samurai Armor Bag」を発表。その後世界各地の展示会に出展し、活動はテレビや雑誌、新聞などで取り上げられています。
日本の伝統工芸である「京人形」の製作技術を活用し、日本の伝統文化や伝統工芸の素晴らしい魅力を多くの人々に伝えたいと願っています。(意匠登録済)

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